約束 act.1 [ 視線 ]

 「あいつさ、お前の知ってる奴?」
 同じクラスの前田からそう言われて初めて、その存在に気がついた。
 区立の図書館ってやつは、この時期学生でごった返している。学期末の試験を控えた12月のこのシーズンだ。オレは最も苦手としている国語の解読を教えて貰う為に、ここに来ていた。虫は好かないが、クラス1の学力を誇る前田に条件付きで今日一日教えて貰うのだ。
 「どの奴?」
 分厚い国語辞典を広げた上にノートを被せたまま、前田の目配せした先に視線を伸ばした。
 しかしオレを見ている様な人間は、その先には誰も見あたらなかった。
 「ほら、グレーのシャツ着ている男。さっきからお前の事見ている」
 そう言われても、この時期グレーのシャツ着ている奴なんざ、ザラにいるしこっち見ている男なんてオレには見つけることなど出来なかった。
 「わかんねーよ。それよりなんでこの長文を指す箇所が、これになるのか意味わかんねー」
 

前田の深い溜息と共に容赦ないゲンコツがオレの頭を直撃した。
 「イテッ!なんでぶつんだよ」
 「これがわかんねーやつに、どうやって何を教えたらいいんだ」
 ちくしょう!オレだってお前なんかに教えて貰いたくなんかねーよ。しょうがないじゃん。オレは今回の試験で現国落とす訳にはいかねーんだよ。本来なら、こんなスカした奴なんかに教えて貰う事なんて絶対にしたくなかった。同じクラスとはいえ、こいつの出してきた条件を聞いた時は、マジびびったけど......、しゃーないじゃん。キスの一つくらい、目ぇ瞑っていたら終わりだからな。
 しかし、こいつにそんな趣味があるなんて知らなかったぜ。
 心の中だけで悪態ついて、睨み返そうかと前田に顔を上げた。目の前に、にやついた顔してオレの顔を楽しそうに見ているその目を見つけると、オレの心のしっぽは、威力を無くしていった。
 「お前さ、勉強どーこーより、その茶色い髪、どーにかしたら?」
 「うるせー、髪茶色いのは遺伝なんだからしゃーねーだろ。色白いのも、目ぇ茶色いのもオレのせーじゃねえよ。バァちゃんが外人なんだから遺伝なの。い・で・ん!」
 前田は少し驚いた顔をしてオレを見た。知らなかったのかよ。
 急に興味を持った色の目で見るから、なんだかむかついて来た。今はいい加減なれたけど、この外見のせいでどんだけガキん時からバカにされてきたと思ってるんだ。
 勉強できねーのは、オレがクォーターだからだとでも言いたいのかよ、テメエ!
 机に肘をつき顎に手を当てたまま、前田が面白そうなものでも見る目で見ているのを、横目で睨み付けた。オレの睨みなんてなんとも感じていない様子の前田は、神経が図太いんじゃなくて、ただ単に鈍感なんかもしれない。
 「へー、知らなかった。だからお前って名前も変なんだ」
 本当に一々腹の立つヤツだ。
 「悠衣(ユーイ)の何処が変だってゆうんだよ!ったくムカツクヤツだな。教える気があんのかよ。赤とったらお前のせーだぞ。教える気が無いならあの約束もナシでいいのかよ」
 前田は急に大人ぶった表情になり、オレの大嫌いな不敵な笑みを口元に張り付け、オレの前髪を指でつまんだ。
 「ほら、また見ている。オレがお前に触るのを、見ているぜ。オレの勘で言わせて貰えばアイツ、お前の事が好きだな」
 「お前の勘なんて当たって欲しくないね。触るなよ」
 前田の指を払いのけ、「見ている」という方向に視線を向けた。キラリと光る銀のピアスが光っていた。濃いグレーのロングスリープを来ている黒い瞳、黒い髪の男と微かに目が合う。
 オレと同じ位か、一つ上?一瞬だけ目が合うと、そいつはそっと机の上に視線を戻したまま、何も無かった様にシャープペンを弄びながら、本のページをめくり始めた。
 シャープペンを弄ぶ、細長い骨張った指先がまるで残像の様にオレの目の中にいつまでも残ってしまった。
 知らない男だった。
 少なくとも、オレの記憶にはない、はず。小学校、中学時代の友人達の顔を一瞬にして回想するが、一向に思い当たる節はなかった。
 前田が、まだ嬉しそうな顔をしてオレを見ている。
 「分かった?」
 「何が?」
 「あの男の事」
 「しらねえよ」
 ふーん、と鼻を鳴らすその仕草が、妙に大人びていて、又オレの勘に障る。
 こいつに教えて貰おうとした、オレが間違っていた。今更その事に気付いたとしても遅いって事も今更分かった。
 鞄に教科書を詰め込むオレを見て、「あれ、もうやめるの?」と相変わらず飄々とした口調で話す。
 「もう、やめ。お前に教えて貰ってもムリ。早く家帰って自分でやるわ」
 さっさと身支度を済ませ、出口へと向かうオレの所へ、コートを鷲掴み前田が小走りに近づいて来る。
 「おい、約束」
 ぎゅっと右腕を掴まれ、無理矢理足止めを食らったオレは、思い切り前田を睨み返した。
 「なんの約束だよ。お前、オレに分かるように教えなかったじゃん。っつーか、教える気なんて無かったじゃん」
 「教える気はあるよ。ちゃんとお前が分かるように説明してやれなかったのは、謝るから。そう短気になるなよ。なんなら、明日でもオレのウチに来るか?」
 「絶対に、嫌だ」
 何を言い出すか分かったもんじゃない、こいつは。口では尤もそうな事を言っているけど、目が信用できない。時間の無駄だよ。大体、おめーの家になんで行くのさ。「約束」以上のことされるかもしんねーじゃんか。
 「そんな、眼で睨むなよ。オレ、前からお前のこと好きだったんだぜ」
 図書館の階段の踊り場で、急に何を言い出すかと思えば、告りかよ。勘弁してくれよ~。
 「勘弁してくれよ、前田。好きってなんだよ、オレ、男とセックスする気はないぜ~」
 フツウに言ったつもりだった。普通に会話をしただけだった。突然男に「好きだ」と言われて「オレも」なんて言えるか?前から友達だったんならともかく、前田とは今までだってそんなに話をしたことしらない。
 たとえ、「教える条件に、キスさせて」と言われていようが、「分かった」ってオレが言ったとしても、それが「好き」とかには繋がらないだろう?
 それなのに、前田は顔色を変えた。
 「そういう言い方、すんなよ。オレのこと侮辱するなよ」
 声色が真剣だったから、オレは何も言い返せなかった。
 「キスさせてくれって言ったとき、お前嫌だって言わなかったじゃないか」
 「だって、そんなの、ジョークだろ?」
 「ホントにそう思って、オレにココまでつき合わせたのかよ」
 「......、キスくらいならいいかと、......思ったんだよ。それと『好きだ』は結びつけないでくれよ。オレだって困る」
 「キスは良くても、精神的な感情は嫌だってこと?」
 「......」
 「気持ち悪いか?」
 「......、オレはそうじゃないから、わかんねぇよ」
 じっと、オレの腕を掴んだまま前田は視線をオレから外そうとしない。気まずくて、この場から逃げ出したくなってきた。俯くオレの眼には自分の足下しか見えなかった。
 「約束だから、キスはしていいよ。でも、お前の気持ちは今は......、受け入れられない。お前のこと良く知らないし」
 なんで、こんな言葉をこいつに言ってしまったのか、自分の事ながら理解に苦しむが、この雰囲気、この空気から一刻も早く抜け出したかったんだ。
 掴む指先の力が幾分緩み、前田の顔が近づいてきた。
 「やっ......」
 顔を逸らすことすら出来ない一瞬だった。オレよりも上背のある前田に顎先を掴まれ、唇を奪われた。息が出来ないほどのキス。
 「バカヤロー!舌まで入れていいって言ってねぇだろ!」
 力任せに突き飛ばしたつもりだったけれど、前田にそれほどの衝撃は与えられなかったようだ。
 にやついた笑いを口元に張り付けさせ、口元を拭うオレに一瞥を下し、くるりと背を向け階段を降りていってしまった。
 「続きは、また今度にしておくよ。ユーイ、又明日」
 悔しくて、なんだか、オレって......。
 
 階段の踊り場で、唇を奪われたオレは呆然と立ちつくしていた。
 そして、後ろに視線を感じていた。
 階段の上層部。壁に背を付け、自販機で買ったらしい紙コップを口元に宛ながら、オレを見ている男がいた。
 あの、オレを見ていた、と前田が言っていた、あの男だった。
 





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