それでも月の夜には愛が降る 10


 「リョウ、家に帰ろう。」
 そう言う準の泣いている顔は、久しぶりに見た。
 「なんで、泣いているの。」
 準はリョウのベッドの脇に立ち、じっとリョウを見下ろしている。目を赤くして。
 「なんで、なんて聞くなよ。お前とずっと話しをしていなかった気がする。お前を一番知っているのはオレだなんて、思っていた。でも、今のお前は......。」
 白いシーツの下から、細くなったリョウの腕が準を求めて伸び上がる。それに応えるように準はリョウのベッドに腰掛け、リョウの白い顔を両手で包み込んだ。
 瞼を閉じ、唇を重ねた。静かな時間だけが流れる。
 「準、そこに居るんだね?」
 「ここに居る。どこにも行かない。ここにいる。」
 再度、リョウの唇を求めようと準はリョウの頬に舌を優しく這わせて来た。
 


 こんなに愛おしく想っているのに、こんなにお前を愛しているのに、どうやったらそれを伝える事が出来るんだろう?こんなに......、近くにいるのに。言葉なんかじゃだめなのかよ。
 いつから、リョウは、オレを避けていた?分からない。わかんねーよ......。
 
 ギシっと病院のベットが軋む。
 白い病室の壁。リョウは点滴を流し込む細い管に囚われた人形の様だった。
 細い身体をただベットに横たわらせて、動く事も出来ない様にじっとしている。準の指が、リョウの頬を優しく撫でる。長い睫を伏せたリョウの青白い小さな顔を包み込む様に、キスを繰り返す。
 「リョウ、ウチに帰ろう。」
 「ここを、抜け出して?」
 「お前と、話がしたいんだ。」
 
 裏口から抜け出し、まだマネージャーの佐上が居るのではないかと、駐車場まで遠回りをして、準はリョウの手を引き、自分の車に近づいた。夜間出入り口の付近にはもう、佐上の姿は無くなっていた。リョウを車に中に押し込み、自分も車に乗り込む。二人の口元からくすくすと笑いがこみ上げる。
 「高校ん時を思い出すな。二人で授業を抜け出して、準のバイクで走ったよな。」
 助手席で、蹲るような姿勢でリョウが呟く。
 「行けるとこまで行きたいって思って、二人で走ったけど、オレ達、これで良かったんだ......って......。」
 「思っているか?リョウ。」
 言葉を切って黙ってしまったリョウに、準が問いかける。答えは、帰って来ない。
 サイドブレーキを引き下げ、アクセルを思い切り踏み込み、準の車が暗い闇の中へと走り出した。
 暗い闇の中、見えるのはただ、光の一点だけ。あれに向かって走っていけば何かがあるはず。たとえ、回りは何も見えなくても、オレ達は手を繋いで、お互いが隣に居るのを確認できれば怖くなんかなかった。あの、光に向かって走っていけば、答えは見つかるはずだと、そう信じていた。
 繋いだ手の温もりがあれば、二人でどこまでも走っていけると、信じていた。
 いつからだろう。
 繋いだ手の温もりを当たり前だと、暖かな温もりを感じなくなって来たのは。抱き合って、お互いの肌を求め会っても、心までは見えていなかった。
 信じていたのは、何だった?
 二人で、手を繋いで、夜行バスで東京に出てきた。何も持たず、ただ......、お互いが隣に居れば何もいらなかった筈なのに。
 
 「何処に、行くのさ。ウチに帰るんだろ......?」
 走り出した車が、高速に上がり、都心とは反対の方向へと向かっているのに気づき、リョウが訪ねた。
 「海が見える場所に行こう。よく行っただろ?授業さぼって、行ったあの場所みたいなところ。」
 「佐上さんが、心配するだろ。オレ達病院を抜け出して来たんだよ。今頃、きっと騒ぎになっているに違いないのに。」
 大声で準が笑う。不審な顔をして、準を見つめるリョウに、ジーンズの左に入っていた携帯を取りだしリョウに渡した。
 「見て見ろよ。」
 二つ折りの携帯を開くと、「着信あり」の表示が映しだされている。履歴を追うと、一分ごとに入っているその着信の主は「佐上」と出ていた。準とリョウが病室を抜け出した直後から、つい今し方まで、ずっと。「準、知って......」分かっていたんだな。そう言おうとした瞬間、準の携帯が振動を始めた。
 「はい。」
 「おま......っ!、勝手に出るな!」
 リョウから携帯を奪おうとして身を乗り出した準を、リョウは左手で防ぎ、その反動で準はハンドルを切り損なった。
 「うわ!」
 「うっ!」
 急ブレーキを踏み、車が大きく揺れた。
 半回転し、ガードレールに左半分擦れたまま数10メートル持って行かれ、どうにか路肩に止まることが出来た。時間的に空いていたのが幸いだった。後ろから衝突されることもなく、音の割に二人は掠り傷程度の軽傷で済んだが、どちらも言葉が出ず、肩で息をしていた。
 心臓が、ドキドキと打っている。
 「ばかやろう!死にてーのかよ!」
 はあはあ息する心臓を無視して、準がリョウに怒鳴る。
 「ご、ご免。」
 真っ青になっているリョウから、五月蠅くわめき声を発している携帯をむしり取った。電話の向こうでマネージャーの佐上がオレとリョウの名を呼び続け、「どうしたんだ!返事をしろ!」と繰り返していた。
 「はい、準です。」
 「何が、どうしたんだ!事故ったのか?リョウは病人なんだぞ。怒らないから、今すぐここに戻ってこい。」
 「ダメです。オレ達、まだ帰れませんから。」
 耳を離していても十分に聞こえる程の声でまだ何か叫んでいる佐上を、準は短く舌打ちをし、携帯を切った。更に電源をオフにして、何事も無かったかのように、また元あったジーンズに戻し、リョウを振り返った。
 苦しそうな表情を隠そうとしているリョウの瞳とぶつかる。薄い栗色したシャツに血が滲んでいる。
 「怪我、したのか?」
 「なんでもない。」
 必死に隠そうとしているリョウの右手を剥がし、隠していた左腕を見た。点滴の後から血が止まらずに流れ出ている。そっと、その腕に準はくちびるを付けた。
 「ごめんな。いつもオレが無茶するから、お前を傷つける。」
 「なんでもないんだ。」
 「いつも、そうやって『なんでもない』って言うだろ。お前の何でもないは、信用出来ないんだよ。どうしてオレに正直に言ってくれないんだ。」
 
 暗い高速道路の上、蛍光灯の光に照らし出された準の黄金色に光る緩やかな巻き毛が眩しかった。強い意志を持った瞳で、真っ直ぐに見つめられると射られる様な気持ちになった。
 お前が進みたいと言う道に、オレが必要ならば、何処までもついていってやりたかった。でもオレはお前の側にいるのが段々と辛くなって行く。
 だって、オレは......。
 
 困った表情をしている。泣きたいのか、困っているのか、リョウはオレを見つめたまま俯いてしまった。オレは、リョウを困らせてばかりなんだろうか。
 
 「リョウ、他に怪我してねえのか?」
 「うん。」
 オレ達が男だから 。オレが男だから、リョウは何も言わないのか?
 流れる血をくちびるに受け、リョウの腕を舌でなぞる。小さくうめき声を出すリョウを見上げ、抱きしめた。
 誰に知ら れたっていい。
 
 「このまま、何処かに行ってしまいたいよ。お前を連れて。」
 「出来ない。準、オレ達は、もう子供じゃないんだ。逃げて隠れることは、出来ない。ウチに帰ろう。オレは、お前に話すことがあるんだ。」
 
 リョウの栗色の髪が、通り過ぎていく車のライトで光を増していた。薄い色した瞳は何かを決意した光を帯び、準を見つめている。
 綺麗な顔した、オレのリョウ。オレに何を話したいと言うんだ。
 
 準は、Uターンさせると車を都心へと走らせた。
 
 
 
 





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