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約束 act.3 [ 空音 ]

2007年7月20日 日向夏姫 | | コメント(4)

 最悪の一日だった。
 もうこれ以上何もなく一日が終わる事を願うよ。なんでたった一日のうちに男に二度もキスされなくちゃなんねぇのよ、オレ。前田とあんな約束なんかしたのがいけなかったのか?
 「お前のこと、好きだった」
 そう言う前田の顔がフラッシュバックする。冗談で済まそうとするには、前田の目はマジだった。オレ、バカにしていた訳じゃないんだけどな。
 そうは思っても、そっち関係の事にはそうそう寛大になれない理由が悠衣にはあった。
 オレの両親が離婚した一番の理由がソレなんだもんな。
 オレ、そっちのケがあんのかな?あの、黒髪の男にいきなりくちびるを奪われた時、そんなにイヤじゃなかった。いや、いやだったんだけど、生理的に受け付けないというもんでもなかった。前田の時は、一応来るって分かっていたけど、前触れもなくキスされて......、ちゅ~か、なんでオレ襲われなきゃなんね~のさ。

 まだ夕方の時間帯だというのに、空はすっかり闇を取り巻き、星すら見えなかったが、悠衣は目をこらして夜空を見上げて、深い溜息を漏らした。
 そしてキュっとコートの襟を掴むと、一目散に家路へと急いだ。
 「もう、今日は早く寝よ。明日になれば忘れるもんね」
 早くにこの嫌な記憶を忘却の彼方へと追い去ろうとしている悠衣の脳裏には、「今日の晩飯なんだろう」と暖かな部屋を想像することで、現実からの逃避を始めていた。
 聞き慣れぬ着メロが聞こえてくる。これが自分の物だと、一瞬分からなかった。「あ、昨日着メロ変えたんだった」と焦ってコートのポケットを探る。
 「もしもし?」
 ざわつく商店街を急ぎ足で抜けきろうとしている悠衣の耳元に、聞き慣れた女の子の声が聞こえてきた。
 「ユーイ?アタシ。あのね~」
 可愛い声が耳元一杯に広がっていく。
 「え?明日?今度の休みは、ムリ。お前も期末だろ?」
 つきあい始めて3ヶ月。今が一番楽しい時期だ。同中の恵美子とつき合う様になったのはホント偶然だったけど、はっきり言って自慢出きるくらいに、恵美子は可愛い。
 電話の向こうからちょっと拗ねた顔して話しているだろう彼女の顔が容易に想像できた。
 「え?オレ?今ウチに帰るところ。うん、後でな」
 回りの喧噪を感じてか、「どこにいるの?」と聞いてくる恵美子の軽い嫉妬が可愛い。「後で、家の電話に掛けてもいい?」と言ってくる。早く家に帰って、恵美子に電話してやろう。そう、こんな疑りすら可愛いんだ。
 
 「ただいま~」
 直ぐに返事が返って来ない。母親は今くらいの時間には家にいる確率は低い。最近、男が出来たみたいだった。いや、みたい、ではなく確実に出来ていて......、それがまたオレの苦悩の一つになっているのは確かな事だった。母親の再婚に反対する気は毛頭ないけど、オレとたいして年の違わない男を連れてきて「今度、ユーイのパパになるかも~」なんてにっこりされては、心許ないってこと、少しは感じて貰いたいものなのだ。オレだって、お年頃なんだからさ。
 重いダッフルコートを脱ぎ捨て、ベットに投げ捨てた。人差し指を首筋に差し込み、制服のネクタイを緩めようとしたとき、突然オレの部屋に母親が姿を現した。
 「うわっ!なんだよ、いたんなら返事くらいしろよ」
 「きゃー、ユーイだったの?」
 殆ど同時に声を挙げた。
 「何で、いるの?」
 これも、また二人同時にハモる。声の質が同じだから、凄く綺麗な和音でそれは響いた。
 ぷっと、母親が吹き出す。
 「ユーイ、声が低くなった。少し前までは私たちの声を聞き分けられるのは猛さんしかいなかったのに」
 猛さん、というのはオレの父親の名前だ。二人が離婚してもう十年は経つだろうか。
 「じゃなくて、なんでいるの?今日はデートなんじゃなかったの?」
 どう見ても、これからデートです!みたいな気合いの入った化粧を施している母親を見て、視線を外した。自分の母親にも関わらず、最近の母親はまるで知らない人の様に映る。ハタチで結婚して直ぐにオレを産んだ母親は同じ学年の親の誰よりも若くて綺麗だった。それがオレは自慢だった。今こうして見ても、実年齢に見えない程、若く、美しく見えた。好きな男が出来て以来、母親は一層綺麗になった様に思う。それが、真実なんだとしても、なんだか面白くないのが本心だった。
 「やーね。じゃなくて、ユーイこそどうして帰って来たの?今日は15日でしょ?」
 艶々と光る自前の栗色の髪を揺らせながら、綺麗に塗ってある指先を自分の唇に当てながらオレの部屋に貼ってあるカレンダーを見た。
 「あっ!」
 「でしょ?」
 「やべ、約束の日だった」
 「猛さん、泣いているんじゃないの?」
 うっそ!最悪、ついていない。今日は「やくそく」の日だった。
 悠衣と父親の月に一度の面会日。両親が離婚するに当たって交わされた約束の一つだった。この十年間一度として父親、猛はこの「約束」を反故にしたことがなかった。悠衣の側から修学旅行だの試験だの理由で延期してもらったことがあっても、必ず日を改めて月に一度父親の家へ泊まりに行くことを約束されていた。いい加減、悠衣にとっては煩わしい行事となっていた。そして、その日が今日だったのを、すっかりと忘れていたのだ。
 「着替えてから行く?」
 「いい、明日学校あるし、このまま出かける」
 たった一晩、一緒に過ごす事が、もうオレには必要ないんだけど、父親はそうは思ってくれない。別に嫌いな訳じゃない。ただ......。
 オヤジにも、恋人がいた。
 その恋人が、最近はこの日にいることが多くなってきた。どういうつもりだか分からない。恋人が居ることを知った時から、オヤジの家へ行くのが苦痛となってきていた。なぜなら、オヤジの恋人が男だからだ。
 母親は、その事を知らない。知らない方がいいと思う。オヤジがオレにカミングアウトしたのは、オレの方が先に気が付いたからで、決してオヤジからオレに言いだした訳ではなかった。
 のろのろと、今し方脱いだコートを拾い上げる。その手が鉛のように感じるのは強ち気のせいでもないと思う。
 「今日もいるのかな。花音(かおん)さん」
 心の中でだけ、そっと呟く。オヤジの恋人、花音さんはいい人だ。嫌いじゃないけど、嫌いじゃないけど......、二人がいると凄く複雑な気持ちになるんだ。まだ母親の年若い恋人の方がいいとか思う。まあ、こっちはまだ見たこと無いから、なんとも言えないけど。
 「じゃ、行ってくるわ」
 だらしなくコートを羽織って、玄関先に座り込み靴を履き掛けているオレを見つめる母親の視線に気付き、力無く言う。
 「ねえ、ユーイ?」
 母親は、オレを呼ぶとき、意識的にカタカナで呼んでいるんじゃないかと思う。
 「ん?」
 「猛さんの所に行くのは高校を卒業するまでって言う約束だったけど、それは私と猛さんが勝手に取り決めした事だから、小さいアナタの意見を聞かずに決めた事だから、もしもうイヤなんだったらそう猛さんに言ってもいいのよ?」
 らしくないことを言い出す母親を振り向くと、壁に背を凭れ掛け、やはり「らしくない」面もちを浮かべていた。
 「なんで?オレ嫌そうに見えた?」
 「凄く、憂鬱そう」
 「きっと、今日嫌なことがあったからだよ。心配すんな」
 嘘じゃない。空元気かもしれないけど、笑ってみせた。
 「......、明日は早くに帰って来るから、一緒に夕飯を食べましょうね」
 「おう、仕事頑張れや」
 なんだかんだ言っても、母親はオレを一人でこの十年育ててくれたんだ。養育費とかなんとか金のことは分からないけど、いつも側にいてくれたのはオフクロだし。
 一人で、心細いこともあったろうな。
 最近、そんな事を思ったりする自分を、大人になったな、なんて自賛したりする。
 心配させたくなかった。
 
 外はもう凍えそうなほど冷え切っている。吹く風が身を切る痛さで突き抜けて行った。
 「ああ、また戻るのか~」
 図書館のある駅からの方が、父親の住む場所までは、ここからの半分の距離で行くことができたのだ。その事に今更気付いたとしても、空しいだけだった。
 地下鉄の改札を通り抜ける時、ふとアイツのことを思い出した。
 「乃木坂まで行くにはどうしたらいいんだ」
 いったい何処から来たんだろうと想像する。
 「オレのものになってみれば?」
 誘うような色をしていた、黒い瞳を思い出す。思わず、くちびるに手をあてる。
 微かに鼻先を掠めた香りは、アイツの着けていたコロンの香りだったのだろうか。動き出した電車の窓硝子に映しだされている自分の顔が、少し赤くなっている気がして、目を伏せた。
 「もう、二度と会わないだろうけど、会いたくないけど。」
 なんだか、やり逃げされた。そんな感情が悠衣の表には現れない水面下で揺れていた。
 
 乃木坂辺りは、悠衣の家の庶民的な住宅街とは打って変わって大人の街だった。着飾った女性が多いという訳でもなく、本当に自立した社会人がいるといつもここに来るたびに思う。少し歩けば六本木にほど近い場所に、父親の住むマンションが建っていた。この辺は業界人が多い。その類に漏れず父親もデザイン事務所をこの土地に構えていた。その会社を自分が継ぐなんてことは考えた事もない。オレは、オヤジと違ってそっちの才能なんてまるでない。母親だってなんたらクリエーターとか言うお店のデザインみたいなのをやっているから、少しは自分にもそっちの毛がありそうなものなのに、まるで無い。きらめくネオンを見上げる度「違う世界」だと言うことを嫌というほど感じるのだった。
 オートロックの重厚な扉のあるエントランスをくぐり抜け、エレベーターホールまで歩いていく。時々すれ違う住人が興味深そうに、オレを見る。こんな普通の高校生が住んでいるにはあまりにも不釣り合いなマンションだからだろう。そんな事もあって、ここにはあまり来たくないと思うのである。
 「少し、遅くなったくらいだろう」
 左手に着けている銀色の腕時計を見ると、8時を回りそうだった。「何処かで電話でもすれば良かったかな」僅かに後悔の念が沸き上がり、二度立て続けにドアチャイムを鳴らした。
 いつもなら、ドアの前に立って待っていたのではないかと思うくらいの素早さでドアが開くのに、今日に限っては、シーンと静まりかえっていた。
 「出かけているのかな」
 そう思おうとしたが、そんな事は今まで一度も無かった。何かあったのかと、今までに数回しか使ったことのない合い鍵を取りだし、鍵穴に差し込んだ。
 
 部屋の中はシンと静まりかえっている。やはり父親は、不在のようだった。なにかメモでも残しているのではないかと、細長い廊下を進み、リビングへと向かった。部屋の間接照明だけが仄かに照らし出されている部屋に入ると、暗がりに誰かが佇んでいた。
 「誰?花音さん?」
 暗がりの中シルエットだけしか見えない人物が、静かに動く。
 「オヤジ、いないの?」
 一歩近づき、その人物が花音さんで無いことが分かる。彼と同じシルエットをしていても、そこにいる人間は彼の持つ雰囲気とは違っていた。そして当たり前のことであるが、父親でもない。ドキドキと心臓の打つコドウが早くなっていく。
 「誰?」
 素早く部屋の照明スイッチを押すと、一瞬にしてその人物が闇から光の中へと姿を現した。眩しそうに片手を目元まであげる、その人物の全体像が浮き上がって、悠衣は声を挙げた。
 「おまえっ!泥棒かよ!」
 
 「うっせえヤツだな。なんだ、お前か。......、お前、ここんちの息子?」
 ポケットに片手を突っ込んだまま、上目遣いにオレを見つめるそいつは、確かに図書館でオレの唇を奪った男だった。
 どうして、こいつがオレの父親のマンションにいるんだろう。いきなりの場面で、脳味噌がショートしそうだった。接点なんか何もない。オレは、こいつの事なんか知らない、聞いていない。もしかしてオヤジの......?オレの身代わり?花音さんとは別の恋人?いや、そんな事はある分けないから、ただのセックスの相手かも。だってこいつは、オレに、オレに「素質あるじゃん」とか抜かしたんだから、ああ、最悪だ。なんてことだろう。
 「お前さ、今すげぇ~勢いで、いろんな事考えているだろ」
 くっくっと堪える様な笑いを忍ばせて、そいつは悠衣を見つめていた。まるで、心の中を見透かされたような錯覚を覚え、悠衣はかっと身体が熱くなるような気がした。
 「誰なんだよ、お前」
 自分の声とは思えぬほどの、声色だった。この男を前にすると、悠衣は自分が自分でなくなる気がした。今まで知っていた自分とは違う自分が、姿を現す。このことに、軽い目眩すら感じた。
 
 「オレ?オレは、空音」
 月明かりを背にして、不敵な笑みを口元に浮かべながらその男は、自分の名を言った。

 
[ 夜の月 ]
 
 「くおん?何それ」
 「何それって、オレの名前。こう言えばわかるか。光島空音」
 空音はまるでクイズを出しているかのように、楽しんでいた。リビングのほぼ中央にある背の低いソファに腰掛けると足を組み、少し前屈みになると、広げた両足に肘をつけた格好で、真正面からじっと悠衣を見つめていた。
 悠衣は、その様子をただ見ているしか出来なかった。リビングの入り口に佇んだまま、ソファに腰掛けて、自分を見ている空音の気配を感じていた。
 頭が上手く働かない。
 この状況が、未だ把握出来ない。
 ただ、頭の中で「くおん」と発音するそいつの名前がグルグルと旋回していた。何かを思い出せそうで、思い出せない切羽詰まった焦燥感に囚われ、それ以上先に進まない。
 自分の出来の悪い記憶力を呪うしか出来ないでいた。
 --- 光島 花音 ---
 突然思い起こす、父親の恋人の名前。
 あ、そうだった。いつか花音さんが言っていた。
 「僕にも悠衣君と同じ位の弟がいるんだ。遠くにいるから会えないんだけどね」
 懐かしそうにオレのことを見つめていた、花音さんの顔を思い出した。花音さんの弟、なのか?「くおん」というのは、どういう字を書くのだろう。
 ぱっと顔を上げると嬉しそうな顔をしている空音と目が合った。
 「お前って、ホント分かりやすい。オレが誰だか分かったんだろう?」
 ソファから立ち上がり、歩き出す空音の回りの空気が静かに動き出す。少しずつ、確実に悠衣と空音の距離が詰まってくると、悠衣は無意識に後ずさりを始めた。
 グレーのシャツに黒いジーンズをはいた空音は、目を凝らさなければ闇と同化してしまいそうだった。にも関わらずその黒く光る目は、悠衣を捕らえて離さなかった。
 「悠衣」
 空音がオレの名を正確に発音した。
 多分、オレにしか分からない、その微妙な感覚。どうしてコイツはオレの名をそんな風に呼ぶことが出きるのだろう。「悠衣」とオレに分かるように発音するのはオレのオヤジ以外では、コイツだけだった。
 一瞬、ぼーっとしてしまった空きに、空音は目の前まで迫っていた。
 何故だか分からないが「やばい」と心臓が跳ねる。
 「悠衣、会いたかった」
 空音の声が耳のすぐ側で聞こえる。ヒンヤリとした部屋の空気が一気に暖房でも入ったかのように暑苦しくなった。しかしそれは悠衣が、空音に抱き締められているからだと気づくのに、更に数秒の時間を要した。


---------- つづく




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コメント(4)

のりりん :

とてもおもしろくて、夢中で読みました。
悠衣も空音も素敵です。
早く続きが読みたいです。

日向夏姫 :

のりりんさん。感想ありがとうございます。
このお話には、誰も感想がなかったので、「あかんかった?」と寂しく思っていたところでした。
読んでくださってありがとう。
そして、気に入ってくださり、ありがとう。
ええ、続き、書きますね。
また、きてくださいね。

Jimmy :

早く続きが読みたいです。
空音と悠衣がどうなるかが楽しみです。

日向夏姫 :

jummyさん、感想ありがとうございます。
続きですよね。
すみません。
うっかり、違うもの書いていました・・・。
話の続きを気にして下ってありがとう!
頑張ります!

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